LINEや電話では解決できない、母との些細な行き違い――たびねこ家さんは実家じまいをされたのが、46歳のときだったんですよね。そうですね。実家の売却が2023年の2月で、引き渡しが5月でした。引き渡しの時点で名義が買主さんに移るため通常は明け渡さないといけないのですが、買主さんが「住んでいていいですよ」と言ってくれたので、ご厚意に甘えて母は引き渡し日から2週間ほど住まわせてもらいました。その後、母は妹の家にいったん身を寄せて、正式な引っ越し先となる賃貸に移ったという流れです。 ――「実家を手放そう」と考えはじめたのは、どんなきっかけからだったんですか?最初の転機は、2018年に父が亡くなったときだと思います。ただ、その時点では「母が実家を出る」なんて発想はなくて、「このまま母がひとりでここに住み続けるんだろう」と思っていました。そこから1、2年は特に大きな変化はなかったです。母は70代が近づいてきて、少しずつ体調への不安が生まれていたものの、母も私も特に「この先どうする?」と深く話すことはしていませんでした。――それが、変わり始めたのは?やっぱり大きかったのはコロナ禍ですね。2020年から会えない時間が続いて、電話やLINEでやりとりしていたんですが……母の声がどこか寂しそうで。最初は私も孫の顔を見せたりして、なるべくコミュニケーションを取ろうとしたんです。でも母はビデオ通話に慣れていないせいか、あまり望んでこなくなって。最初の1~2回だけで、それ以降は電話とLINEだけになっていきました。私は自分から連絡するのをつい忘れちゃって、母から来たら返信するぐらいにしていたんですけど、LINEの文面ってきつく感じるときがあるじゃないですか。文面でやりとりしていたら母から電話がかかってきて、「あんた私に怒ってるの?」と聞かれることもあったんです。――テキストコミュニケーションに慣れている世代だと気にならないことでも、上の世代の人は冷たく感じてしまうことがありますよね。そうなんです。対面で会えば普通に話せるのに、LINEやちょっとした電話だと解決しきれない些細な行き違いが積み重なっていて、「ひょっとして母は寂しいのかな」と思うようになりました。最初は「実家のいらないものを減らしておこう」くらいの気持ち――ちょうどその頃、お仕事にも変化があったと伺いました。はい。2021年に会社員を辞めたことで、時間に少し余裕ができました。それまでずっとフルタイムで働いて、育児もあっていっぱいいっぱいだったので、ようやく「実家のことを考える隙間」ができたんです。「今は健康状態に問題はないけれども、この先もし母が介護になったら誰が面倒を見るんだろう」と考えるようになりました。――実家に足を運ぶ機会も増えました?そうですね。母のところに泊まりに行ったり、片づけを手伝ったり……。行くたびに感じていたのは、「この家、ちょっと心配だな」ということ。築30年を超えていたんですけど、外装も内装もほとんどメンテナンスをしていなかったんです。屋根の修理の営業が来るようになったりしていて、このまま10~20年は修繕なしには住み続けられそうにない。でも母は年金暮らしで、父もいないし、正直お金にも余裕はない。このままこの実家に住み続けるには、それなりの出費が必要だなと考えていました。――立地は良いところだったんですか?地方だと、幹線道路に近いかどうかがポイントになるんですけど、うちは国道からアクセスしやすいし、道路付けも悪くなかったんです。ただ車がないと生活できない。私が実家じまいという選択肢をとった理由のひとつが、そこなんですよね。母がいつまで運転し続けられるかわからないし、車がいらない場所に住めるならその方がいいなと。――実家が遠方だと、メンテナンスを手伝うのも大変ですしね。そうなんです。庭の草むしりやら植木やら、もう本人はできなくなっていて。業者さんに毎年やってもらうにもお金がかかりますから。インターホンも壊れてカメラが見えなくなっていて、鳴らされるたびに誰かわからないまま出ちゃっていたんですよ。それは実家じまい関係なく一度帰省したときに、最新のインターホンに替えました。「ちゃんと確認してから出て。知らない人には居留守を使って」って言い聞かせて。――実家じまいについて、最初はどんなアクションを取っていったのでしょうか。最初は売却や母の引っ越しなんてまったく考えていなくて、「とりあえずいらないものを減らしておこう」という感覚でした。父が趣味で集めていた無線機やレコードなどがたくさんあって、それをヤフオクに出してみたんです。そしたら、思った以上に売れて。――片づけが楽しくなる瞬間ですね(笑)。お母さまの反応はいかがでした?「売り上げは全部あげるから頑張って!」と言っていました(笑)。とはいえまったく渡さないのも忍びないので、何か売れるたびにお小遣いとして渡していましたけどね。車で帰ったときに積めるだけ積んで、自分の家から発送していました。最初は売ることが楽しくて。「こんなの絶対売れないだろう」っていうものも買う人がいるんですよね。コロナ禍のころ、家から出なくてもできる趣味として無線が流行ったみたいなんです。そのおかげもあったのか、すごく売れました。お金になったこともそうだし、そのまま捨てるのももったいないので、使ってくれる人がいたことはうれしかったです。――実家の売却という選択肢が見えてきたのは、いつ頃からだったのでしょう?本当に突然でした。「近所の人が、うちの家を買いたいって言ってるらしいよ」って母がぽろっと言い出して。最初は私も「え?売るの?」って驚いたけど、その会話が実家売却のきっかけになったんです。次回は、たびねこ家さんが「実家を売る」決断にいたるまでのプロセスを伺います。片づけから少しずつ動き始めた母の気持ち、姉妹との関係、そして売却という選択肢が現実になったときのこと——。実家じまいの裏側にある、家族との距離感や葛藤についても深くお聞きしていきます。★たびねこ家さんが出版されたKindle本もぜひお読みください。