残したいモノは使える形にしてくれた母――前回は、お母様は片づけが得意で、家のなかはいつもキレイに整理されていたというお話でしたね。ほかにもエピソードはありますか?母は日頃から「将来、子どもたちの世話にはなりたくない」と言っていました。なので、母自身が私たち子どもの負担にならないように、病気になったときからどんどんモノを片づけていき、病院と家での生活に必要なモノだけに減らしていったんです。私は、モノが捨てられていく様子を見ているのがとても辛かったです。母が死ぬ準備をしているようにも感じられたので……。ただ、それが実家じまいをすることになったときに、とても助かる結果となりました。母が願っていたとおり、すべてがスムーズで、私と兄の負担はほとんどありませんでした。――そんなお母様がYさんに残してくれたモノはありますか?あります。ある日、母が「婚約指輪やパールはもういらないからあげるわ」と私に言ったんですね。でも、ただ「あげる」という意味ではなくて「そのままあげてもデザインも古いし、どうせ着けないでしょ」と。そうしてジュエリーのリフォームのお店に私を連れていき、「あなたの好きなデザインに変えなさい」と言ってくれたんですよ。こんなふうに、ただ持っていてほしいという渡し方ではなく、きちんと使える形にして残してくれました。だから母の思い出の品として大切に使っています。――そんな言葉をかけられたら断る理由もないですね。でも、最初は断ったんですよ。当時母は闘病中でしたが、まだ60歳くらいでしたし、私自身も今よりも若くて親が亡くなるような年齢でもなかったので、ジュエリーを譲る話になったときに「そんなふうに死ぬ準備みたいなことするのやめてよ」と断りました。けれども、母は「そういうことじゃないの。お母さんはもう着けていく場所がないし、このまま置いてあってももったいないでしょう?けれど、あなたはこれから友人の結婚式やいろんな機会で使うだろうから、持っていたほうがいいと思ったのよ」という言い方をしたんです。もしかしたら私の知らないところで、病気のことですごく悩んだりつらい思いをしたりしていたかもしれません。でも、母は合理的な考えをする人だったので、子どもたちに負担をかけるわけにはいかないと思ったんでしょうね。モノを処分したり、使える形にして残してくれました。母の病気がきっかけで夫婦でお墓を購入――病気のときにそこまで考えられるのはすごい。聡明なお母様ですね。本当にそう思います。これはまた別の話になるんですが……母の病気がわかってまだ動けるときに、父と母は自宅近くの納骨堂を契約していたんです。驚きますよね。石のデザインもふたりで楽しそうに選んで、初期費用もすべて払い込んでいました。ドライといえばドライなのかもしれないけれど、母は本当に強い人だなと思いましたね。その当時、父は父で、まだ元気だったのに「自分が死んだときは、お母さんと一緒にそこに入りたい」と言っていたんです。だから母が亡くなったときも父が亡くなったときも、お墓に困ることはありませんでした。父は九州の出身で実家のお墓はそちらにあったんですが、次男だったので自分のお墓がなかったんです。自分たちで用意する必要があったとはいえ、行動の早さにはびっくりしましたね。そんな両親を見てきたので、私自身も娘たちにこうありたいなと思っています。【筆者後記】Yさんのお母様のエピソードは、実家を片づけることをゴールとしているわけではなく、将来的に子どもたちに負担をかけないためにやるべきこと=片づけだったのではないかと感じました。そのための言葉がけや使える形で残すという考え方はとても参考になりました。私の義実家の話になりますが、義母と義父が立て続けに亡くなり、長男だった夫はお墓を見つけなければならなくてとても大変な思いをしました。ようやくお墓が見つかったものの、もちろん費用は子どもである夫が負担することに。Yさんのお話を聞くと、子どもに時間もお金も使わせないために「今できること」はできるだけ早いうちにやっておいたほうがいいなと感じました。第17回は、引き続きYさんにお父様のアルバム整理と情報整理についてお話をうかがいます。次回もお楽しみに!