それは一本の電話から始まった。友人とのランチ中に突然、実家からの着信。嫌な予感しかない。実家から電話がかかってくるときは何かしらの要望があるときだ。無視をしようかと思ったけれど、それはそれであとから詰められて面倒だな、と渋々電話に出た。電話をかけてきたのは父だった。開口一番「がんかもしれない」いや、かもしれないってなんやねん。「病院には行ったの?」と問うと、「行ってない」いや、行ってないんかい!!行かずにがんだってわかったらお医者さんいらんのよ!「なんで行ってないの?」「がんだったら怖いから」つまり勝手にがんかも、と思っているけど怖いから病院に行けず、とりあえず娘に電話してきたってこと? まずは病院に行ってから連絡してくれや……とつい、大阪人の血が騒いで心の中でツッコミまくったものの、とりあえず一息おく。ここから一旦、病院に行くように説得するが「怖い」の一点張り。電話じゃらちが明かない。正直、放っておこうかと思った。心配、かわいそう、と思えるほどわたしには父親への愛情がなかったからだ。子どものころから家庭内暴力に苦しめられ、大人になってから何かとお金を奪われた。それで自分が病気かもしれないというときだけ頼ってくるって甘過ぎじゃないか。……と思ったのだけれど、万が一のことがあって、このまま死なれるのも目覚めが悪い。病院に行くよう説得するために実家に帰った。改めて病院に行かないか聞くとやはり「怖い」と言うだけ。しかし、突っ込んでいくと「お金がかかるから」「病院に行ってがんだったらお前が金出してくれるのか?」という言葉が出始めた。なるほど、お金が目的だったか、と納得。呆れてしまったけれど、とりあえずどうにか説得は継続した。以前会ったときよりもかなり痩せていたからだ。もしものときに自分のせいかもしれない、とやっぱり思いたくなかった。どちらかというと、自分のためだったかもしれない。お金のことはどうにかするから、と病院に行くことを了承させた。騒いでいるけれど、実は大したことないんじゃないかな、と思っていたんだけれど、実際大したことはなかった。がんらしき影があるけれど、がんとは言い切れない、という診断だった。病は気から、というけれど、まさにそれで、具合が悪くなっていたようだった。ただ、実家に帰ったことで目が逸せない事実があった。%3Csmall%3E%E2%80%BB%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%3C%2Fsmall%3E家が、やべえ。シンプルにやべえ。口が悪くなるぐらいひどい状態だった。実家2階建ての一戸建てなのだけれど、そこらじゅう屋根や床が抜け落ちていたのだ。エアコンは全て壊れているし、電気が通っていない部屋も多くあった。ちなみに、この時、季節は夏だった。暑さに加え、湿気もひどい。よく生活できているな、というほど。コロナ禍、「お前は外に出てウィルスにまみれているからくるな」と言われていたのをいいことに、ほとんど実家には行っていなかった。その間にこれほど荒れ果てたのかと愕然とした。「引っ越したほうがいいのでは……」とこちらも控えめに言ったが、「金がない」「お前が払ってくれるのか」とこちらもお金を理由に拒否された。なぜそんなにお金がないのかが分からない。貯金は皆無だったし、両親共に年金を払っていなかったので、そちらのほうもゼロ。父が細々と仕事をしていたのでその入金があったが、余裕はない。母のほうは考える気力をすでになくしているように見えたし、わたしひとりで判断するには荷が重い。一旦、どうするか、妹に相談することにした。妹にいたってはわたし以上に実家に帰っていない。放っておけばいいよ、と妹も最初は言っていたが状況を話すと母がかわいそうだということもあり、引っ越しの説得を引き受けてくれた。これにも駄々をこねると思っていたのだが、意外にもあっさりと受け入れた。とりあえず、お金のことは先送りにして説得したのだ。分かってはいたけれど、世の中、お金が全てなのである。ここまで、一切子どもたちの話を聞かなかった父にしては意外なことだった。妹と話していた中で出てきたのは、引っ越しはしたいけれど、現実を見たときにどれぐらいの費用がかかるのか、というのが頭にあったのだろう。そしてプライドの高い人なので、それなりの家でないと自分が許せないということがあったのだろう。プライドでおなかは膨れないが……と思ってしまうが。そしてここからは資金繰りと引っ越し作業に追われることになる。次回は、実家じまいの核心ともいえる“片づけ”について書きます。とにかくモノが多すぎて、処分するにもひと苦労。売れるもの、売れないもの、そしてヤニ焼けでゴミになったもの……。実家の中に山のように積みあがっていたモノと向き合った日々をお話しします。