母と過ごした日々を絵本に込めて2025年9月15日、絵本『その人らしさ、なくならない』の出版を記念したイベントが開催され、著者であり脳科学者の恩蔵絢子さんが登壇しました。イベントの冒頭で、恩蔵さん自身が絵本を朗読。少し緊張した様子で始まった朗読でしたが、落ち着いた声で紡がれる言葉からは、母と過ごした日々を慈しむ思いが伝わってきました。「認知症になっても、その人らしさはなくならない」――この作品の中心にあるメッセージが、まっすぐに語られるひとときとなりました。朗読を終えると恩蔵さんは、絵本が生まれた背景を紹介しました。母が64歳で異変に気づき、65歳でアルツハイマー型認知症と診断されたこと。脳科学を専門にしていながら「薬がない」「進行して治らない」と突きつけられるのが怖く、病院に連れて行けなかった1年間があったこと。脳科学者として認知症の知識を持っているにもかかわらず、ひとりの娘として恐怖に立ちすくんだ当時を率直に語りました。脳科学者として、娘として「アルツハイマー型認知症は、脳の『海馬』という新しい記憶をつくる部位に傷がつくことから始まる」と恩蔵さんはいいます。海馬は現在の出来事を長期の記憶に変える役割を担っており、ここに障害が起きると「水を買いに行ったのに忘れて帰る」といった症状が現れやすくなるのだそうです。一方で、「昔の記憶や体にしみついた技術は残ることが多い」といいます。恩蔵さんの母はピアノの先生で、料理も歌も好きな人でした。認知症が進んでも、包丁を握れば昔のように見事に切り、歌を口ずさむ姿は変わらなかったそうです。恩蔵さんは「母はできなくなったことばかりに目を向けるのではなく、支えればできることがある。その発見が大きな希望になった」と語りました。母と並んで台所に立ち、「今は味噌汁を作っているよ」と声をかけると、母は再び料理を続けられたといいます。「認知症になっても“戻れる時間”がある」という気づきは、介護を続ける上での大きな励みとなったそうです。「人格が変わる」のではなく、不安が強くなるだけ恩蔵さんは「認知症になると人格が変わってしまうのか」という問いにも触れました。研究では、不安が強くなり外出や人付き合いを避ける傾向があると報告されています。しかし恩蔵さんは「それをそのまま“人格の変化”と呼ぶのは正しくない」と強調します。「不安が強ければ誰だって新しいことに挑戦できなくなります。母もそうでしたが、音楽が好き、子どもに食べさせたいという思いは最後まで変わらなかった。平均値では見えない“一人のその人らしさ”は確かに残っているのです」また、恩蔵さんは認知症の人が発する「家に帰りたい」という言葉についても、「徘徊ではなく、安心できる場所に戻りたいという自然な気持ちの表れだ」と説明します。「人の役に立ちたい、恥ずかしい思いはしたくない、大切な人を愛している――そうした感情は最後まで失われません」との言葉は、聞いている側に大きな納得をもたらしました。娘としての気づきと後悔。そして「安全基地」として支えるということ恩蔵さんはまた、自らの反省も語りました。認知症の初期には、母を「何をしてくれるか」で測っていたというのです。これまでのように料理をしてくれるのか、送り迎えをしてくれるのか、名前を正しく呼んでくれるのか――。「私は母を“便利さ”で見ていました。でも人間は道具ではありません。母そのものを見ることが大事だと気づいたんです」母に「向き合う」覚悟が生まれてからは、怖さの中にも確かな支えを感じられるようになったといいます。科学者としての視点だけでなく、娘としての気づきが絵本の背景にあることが、丁寧に語られました。講演の最後に恩蔵さんは「家族が安全基地になること」の大切さを伝えました.「失敗しても戻れる場所があると、人は安心して挑戦できます。認知症になっても同じです。家族が安全基地になれば、その人らしさは守られるのです」 科学者としての知見と、娘としての体験。その両方から導かれた言葉は、認知症を「できないことの連続」ではなく、「工夫次第でまだできることがある時間」として捉え直す視点を示してくれました。イベントを終えて恩蔵さんのお話を聞きながら、私自身も祖母がアルツハイマー型認知症だった頃のことを思い出しました。祖母の娘であった母には恩蔵さんと同じように、娘としての悩みや祖母へのとまどい、接し方に対する迷いもあったのだろうと想像します。今はまだ元気に過ごしている70代の両親も、これから先、認知症の症状が出てくるかもしれません。そのときの心構えや備えとして、絵本『その人らしさ なくならない』と恩蔵さんの言葉は“お守り”のように胸に残りました。「認知症になっても両親らしさはなくならないんだ」と忘れずにいることで、両親への接し方や症状への理解を冷静に保てるような気がしています。