父から承諾を受けたことで、さっそく引っ越しの準備に取り掛かった。私たちに与えられた時間は1か月。父の気が変わらないうちに、というのが大きかった。あとは冬がやってくる、ということ。暖房をつけたとて、崩れかかった家では大した効果はない。高齢である両親のためにも早く引っ越すのが得策だと考えたのだ。実家じまいの総監督は妹がやってくれた。本来なら長女の私ががんばらねばならないところなのだけれど、どうにも頼りなく……なにせ交渉ごとが下手、話すのが下手。実家宅の大家との交渉、新居での不動産屋との交渉、家のものを売るときの手配など、細やかでかつ、弁が立つ妹のほうが向いていた。また、妹の夫が非常に協力的だったということも大きい(私の夫は父と折り合いが悪く、あまり関わりたくないようだった)。私と弟はそんな妹夫婦の指揮のもとに動くこととなった。片づけと同時に、お金を工面しなければならない。物があふれている家だ。売ればそれなりの金額になるのではないか、と全員がほんの少し期待していた。特に、大量の本。中には希少本もある。……が、これが本当に二束三文にもならなかった。まず、家が崩れかかっていることで、湿気でかなりの本の状態が悪かった。あとはヤニ。父はヘビースモーカーである。そのせいで大半の本がヤニ焼けで変色しており、これが売る際にネックとなっていた。専門店に持ち込んだ本も「ヤニ焼けさえなければねぇ……」と苦い顔をされた。ほかには、父が趣味で買っていた「骨董品風」なものや、なんちゃら石の原石などがあったけれど、これもお金にはならない。義弟が「原石は磨けば売れるのでは……」とチャレンジしたが、素人では無理だった。と同時に、一体これらをいくらで購入したのかが相場を調べていく中で判明し、私と妹はがく然とした。子どものころから金がないないと言っていたけれど、どうやらこういったものに使っていたらしい。こんちくしょう。骨董品風のものも同じく。これらは母が壊し、燃えるゴミの日に捨てた。あとは食器や家電類。食器も高そうなものがいくつかあったけれど、箱がないと買い取ってもらえず。時間があれば、フリーマーケットに出店するなんていう方法もあったかもしれないけれど、なにせ私たちには時間がなかった。家電も10年以上経っているものは軒並みアウト。むしろ処分にお金がかかる。結局、売れたのは湿気の影響がないDVD類と、これまた父が趣味で集めていたZippoライターだけ。あとはもうできるだけお金をかけないようにする努力をするしかない。実感したのは「捨てるのにもお金がかかるんだな……」ということだった。なので、母には申し訳ないがごみ回収の日には家とゴミ捨て場を何度も往復してもらい、大量のごみを捨ててもらった。自治体からよく怒られなかったな、と思うレベルの大量のごみ……。それでも捨てきれずに、引っ越し当日は私と夫、弟で何度もレンタルしたバンで市営の美化センターと家を往復した。夫と弟が美化センターに車で運び、私は主に家から荷物を運び出していたのだけれど、物がなくなっていく実家で何度か呆然とした。よくここで暮らしていたな、と。気をつけなければ腐った床を踏み抜きそうになる。虫も入り放題。途中で家を解体して全て廃棄したほうが早いのでは、と思ってしまうこともあった。ひたすらモノを捨てて捨てて、どうにか全てを終えた。実家を「しまう」というにはあまりにも乱暴なやり方だったかもしれない。思い出を懐かしむ余裕もなかった。ただ、それだけ私たちを含め、子どもたちがあまりにも実家に愛着がなかったから、なのかもしれない。あまりにもスピーディーに終えた実家じまい。それはまるで嵐のようでした。しかし、嵐のあとはまた嵐。引っ越し先で何かと父が問題を起こすようになったのです。どんなことがあったのか、それはまた次回お話しします。