引っ越しの日は父は歌を歌ったり、昔話をしたりと上機嫌だった。あとから聞いた話だが、義弟はさんざん昔話を聞かされたようで、気づけば私よりも父のことに詳しくなっていた。ボロボロの家から引っ越して、これでひと安心……と思っていたのもつかの間。父親がわがままを炸裂し始めたのだ。まずはスマートフォン。もともとガラケーを持っていたので、実家とのやりとりにはそれを使っていた。が、スマホを仕事で連絡を取るために欲しいと言い出したのだ。電話をもらった私は「必要ないだろう」とのらりくらりとかわした。父の1日はほとんど寝ているかボーッと座っているかどちらか。聞けば、もう長いこと“仕事らしい仕事”はしていなかったという。そりゃあそうだ、収入になるようなことは何もしていないのは分かっていたし。次は椅子。これも仕事をするためにいい椅子が欲しいと言い出したのだ。私がスマホをスルーしたからなのか、こちらは妹夫婦にねだった。それも1~2万円のものではなく、10万円ぐらいするものが欲しい、と。ふざけるな、という話である。引っ越しのお金を捻出するのにも苦労したのに。その10万円があればどれだけ助かることか。子どものころからさんざんお金に苦労していたけれど、父は子どもたちが苦労している影でこうして好きなものを買っていたんだろうな、と思うと腹立たしさと虚しさでげんなりした。そして、父は誰かにかまってほしかった。実家じまいのときは、子どもたちが毎週のように入れ替わり立ち代わりやってきていた。どうやらそれが嬉しかったらしい。何かと子どもに電話をかけるようになった。ただ、私たちだって暇ではない。私は家が近所だったのでできるだけ顔を出すようにしていたけれど、用がなければやはり行く気がしない(父の顔を見たくないので)。そんなある日の夜、父から電話がかかってきた。「息が苦しい」と。そのわりにしっかりと話していたので、かまってほしいだけかな、と思い、夜間病院があるからそちらにタクシーで行ってみてはどうか、と。が、父は了承しなかった。「苦しい、苦しいから救急車を呼ぶ。お前がうちに来るまで待ったほうがいいか?」「救急」とは何なのか電話口で説明してやろうかと思ったが、グッとこらえた。もう一度、夜間病院を勧めたが、電話を切られてしまった。そのあとは予想通り。結局、救急車を呼んでしまった。近所の総合病院に搬送されるのかと思ったが、なぜかずいぶんと遠くの病院に向かうことに。病院で検査をしてもらったが、案の定異変はなし。母と私、病院まで送ってくれた夫と3人で深夜まで検査が終わるのを待っていたけれど、なんと空しい時間だったことか。隣でちょっとずつ機嫌が悪くなる夫にヒヤヒヤしていたのも、言うまでもない。一緒に住んでいない子どもたちにもそんな状態なのだから、母にはもっとひどかった。「あれが食べたい、これが食べたい」と言いながら、出されると「思ってたのと違う」と怒り出し、止められているはずのタバコを買ってこいと怒鳴る。唐突に自分がどれだけすごい人間なのかを語り出す。小さなことが積み重なって母は目に見えてひどく疲弊していた。家族の誰もが父とどう向き合えばいいか分からず、実家じまいのときよりも出口のない迷路に迷い込んだような気分だった。一難去ってまた一難……と言いますが、まさにそんな気分で毎日「どうすればいいのだろう」ばかり考えていたように思います。そんな日々の中で、私たちには避けては通れないもっと大きな問題がありました。それは両親の生活費をどうするか、ということ。次回、お話ししたいと思います。