両親が生活保護を受け始めてからも、ときどき実家に顔を出していた。父はベッドに入っていることが増えたのだが、頭はしっかりしているので夜中に母を呼びつけたり、怒鳴ったりしているのが気になっていた。ちなみに、生活保護の話をされたのが相当気に入らなかったのか、行くたびに父ににらみつけられ、話しかけると無視された。子どもなんだろうか。明らかに具合が悪そうなのに病院にも行きたがらない。あまりに痩せていくことを母も気にかけていたので、どこかに相談して医師に診てもらうことになった。医師いわく「すぐにでも病院へ行くように」とのこと。介護タクシーを呼び、病院へ行き、そのまま即入院。すい臓がんだった。これまでも定期的に通院していたし、検査も受けていたはずなのだけれど、発見されていなかったのか、急激に進行したのか、腎臓にも転移していた。CT画像を見せてもらったけれど、「腎臓ってこんな形になるのか」と驚いた。私が知っている腎臓の形とはまるで違っていて、それほど病状が進んでいたのかもしれない。その場で、もって1か月弱と言われた。不思議とショックはあまりなく、「本当に余命って言われるのか」と他人事のように思ってしまった。私は冷たい人間なのかもしれない。それくらい現実感がなかった。父はもともと延命措置はしてほしくない、と言っていたので、すぐに緩和ケアがある病院に転院となった。これも生活保護を受けていたからこそできたことだったので、国には感謝しかない。ここで病院からの緊急連絡先が設定された。1番が私、その次が母、そして妹という順番にした。これが意外と頻繁に電話がかかってくるので驚いた。少し特別な処置が発生すると確認の電話がかかってくるのだ。病院も大変だ。その場で判断しなければならないことが多く、少々戸惑った。人は病気をして、亡くなる直前というのはこんなにいろんなところに不具合が出てくるのだな、と実感した。なんとなく、父が亡くなるまでの1か月のことは記憶がぼんやりとしているのだけれど、いくつかだけとても鮮明に覚えている。手足がとても乾燥しているからニベアなどのクリームを持ってきてほしいと言われたこと。緩和ケアの看護師さんがとても親身だったこと。父が亡くなる2日前に「お母さまの心が疲弊しないようにケアしてください」と言われたこと。亡くなる前日に見た父は目をぽっかりと開いていて、その目がとても濁っていたこと。亡くなったと連絡を受けて向かった病室の匂い。あとはぼんやりしていて、今思い返してみるとたった1か月のことだけれど、疲れていたんだろうと思う。母はもっとだろう。ただ、父が亡くなったあとも私たちにはやることが残っていた。「相続放棄の申述」である。父には借金がかなりあったので、それを相続するわけにはいかない。万が一プラスの財産が出てきたとしても、マイナスの財産を上回るとも思わなかったし、父が遺したものに一切触りたくないという気持ちも強かった。亡くなったことを知ってから3か月以内に行わなければならないのだけれど、意外と書類を集めたりなんだりしていると時間がかかるのだ。あと、意外とネット上に実際に相続放棄をした人の体験談が少ない。手続き自体はそんなに難しくないのだけれど、「それならそうと言ってよ」と思う場面が多かった。例えば、本籍地が遠方でも自分が住んでいる町の役所で戸籍謄本が取得できるとか、相続放棄申述書は相続人ごとに必要だけれど、まとめて提出することができるとか。専門家にお任せすればもっと早かったのだろうけれど、妹を中心に自分たちでやったので、地味に時間がかかった。父が亡くなったのは5月末。相続放棄の手続きが終わったのが7月末。これで全てが終わったのだと、心の底からホッとした。実家じまいから始まって、相続放棄をするまでの期間は約11か月ほどでしたが、本当に「怒涛の日々」というのはこういうことを言うんだな、と思いました。選択の日々でしたが、後悔のない選択ができたと実感するのはもう少し先のことかもしれません。