実家では、母が毎朝晩の食事を用意してくれ、21時を過ぎると、居間でテレビを囲んでの「宴会」と称した晩酌が始まる。2歳になったばかりの子どもも「乾杯」を覚え、赤ワインとぶどうジュースが入ったグラスをカチンと合わせ、一日の頑張りを労い合った。一人で子育てに奔走してきた私にとって、それはまさに天国のような日々だった。けれど、そんな穏やかな時間のなかで、少しずつ「気になること」も出てきた。それは60代前半になった両親に見え隠れする、加齢に伴う変化だ。たとえば、家族で日帰り温泉に行った帰り道のこと。助手席でビールを飲んでいた父の口数が急に少なくなった。むっつりした顔で黙っているので、なにか気に障ることでも言ったのかと思ったが、心当たりはない。家に着いて再び湯船に浸かるとようやく表情が和らいだが、父の姿を終始目の当たりにしていた私や母は気が気ではなかった。母についても、気になることがあった。いつも家族や周囲のために忙しく立ち回る活発な母だが、最近、同じ話を何度も繰り返すようになった。毎回、初めて話すかのようにワクワクした表情で話すため指摘しづらかったが、あまりに頻繁なため、あるとき控えめに伝えてみた。母は「今度からは遠慮なく言ってね」と言う。しかし、それから数日後、つい3分前に話したばかりの話を新鮮な調子で語り始めたときには、思わず頭を抱えた。「お母さん、それ、さっきも言ってたよ……」声を振り絞るようにして伝えたが、さすがは明るい母だ。一瞬驚いたような表情をしたものの、まもなく「私、頭おかしい」と笑い出した。本人が気落ちするよりは良いのかもしれないが、いずれ支える側になる立場としては心の底からは笑えない。父はもともと心臓が強くないので、例の一件の後は病院にかかることを勧めたが、母の症状に関してはどこまで心配すべきなのか。親の気になる「症状」には、いわゆる「病気」に該当しなさそうなものも多くある。急に高額な買い物をしたり、陰謀論を信じ込んでしまったり、家の中が少しずつ散らかり始めたり。こうした「高齢者あるある」の背景には、実は医学的な理由が隠れていることがある。『老いた親はなぜ部屋を片付けないのか』(平松類著/日経プレミアシリーズ)は、まさにそんな親の「なぜ?」を、医学的かつ客観的な視点から解き明かしてくれる一冊だ。全4章構成で、「老いてきた親、どこまで心配すべき?」と題したプロローグに始まり、第1章は「いますぐ手を打つべき老いた親の問題行動とは」と緊急性の高い事例が紹介されている。続く第2章以降は「老いた親はなぜ料理にドボドボ醤油をかけるのか」「老いた親はなぜ家の中で転ぶのか」など、身近な疑問を切り口としているので、「自分ごと」として興味を持ちやすい。特に第2章の「老いた親はなぜ部屋を片付けないのか」では、投資詐欺や陰謀論を信じてしまうことや、徘徊、施設での恋愛トラブルなど、ありとあらゆる「高齢者あるある」の事例と原因、その対処法がセットで語られている。特に印象的だったのは、高齢者が陰謀論などを信じやすくなる背景についての記述だ。著者は、認知能力が衰えてくると、複雑な物事を理解することが脳の負担になると指摘する。「〇〇が悪い」というシンプルな結論で語られる言説は、疲れを感じ始めた脳にとって、むしろ心地よく受け入れやすいものなのだという。また、父の温泉帰りの一件も、本書を読んで合点がいった。急な脳卒中などではなく、室内と外気温の差による血管の急激な収縮が原因だったようだ。大きな病気でなかったことに安堵しつつも、温度変化“だけ”でこれほど体に負担がかかるのかと、改めて気を引き締めるきっかけになった。眼科医でもある著者は、「片付けられない」理由の一つとして、たびたび「視力の衰え」を挙げている。80歳を超えるとほぼ全員が白内障を患い、「生活はできるが、実はよく見えていない」状態になる。汚れや散らかりに気づけないのは、やる気や認識の問題ではなく、単に「見えていないから」かもしれない。そう知ると、状況は変わらなくても、親を見る“目”は少し変わってくる気がする。しかし、医学的な理由を知ったとて、老いそのものを止めることはできない。では、どのように対処すればいいのかと不安に思う人もいるだろう。本書が教えてくれるのは、単なる医学知識だけではない。「病院に行こう」「運転免許を返納して」といった難しい提案をするとき、無理強いするのではなく、いかに親のプライドを傷つけず、心に寄り添う対話ができるか。その具体的なヒントが随所に散りばめられた本。「親をどう変えるか」ではなく、「親の目に映る景色をどう想像するか」。その視点を持つことが、これから続いていく親子関係を、より穏やかなものにしてくれるのかもしれない。出典:日経プレミアシリーズ『老いた親はなぜ部屋を片付けないのか』平松類著(2024年11月8日発売)