週1回の親への電話は「取材の一環」と割り切った——山口にいながら横浜で暮らすご両親を支えるために、トメさんが一番心がけたことは何でしたか。「連絡を密にすること」これに尽きますね。母の体調が怪しくなり始めた頃から、週1回の電話を習慣にしていたんです。日曜日の決まった時間に、用がなくても絶対にかけることを決めていました。あとで自分が後悔したくないっていう気持ちもすごく大きかった。だから、できるところからまず始めようと思ったんですよね。そうはいっても、私も忙しいし、正直忘れたり、面倒になったりもしたんですけど、「これは取材の一環としてやろう」と自分に言い聞かせていました。――取材、ですか(笑)。そうしないと続かなくて(笑)。最初は親も「なんで電話してきたの?」っていう反応でしたけど、そのうち週1回の電話が当たり前になって、とりとめのない話をするようになりました。声の調子で「今日は元気じゃないな」っていうのもわかるようになったんですよね。「仕事を辞めたら、親も喜ばない」自分の生活を守ることは親のためにもなる——ご両親の介護が必要になったとき、横浜に帰ることは考えましたか。本気で考えました。でも、実家で一緒に住んだら仕事ができなくなるのは明らかだったし、姉にも「それをしたら仕事できなくなるよ」と言われて。姉とふたりで協力して「自分たちの生活を優先しよう」と決めたんです。——「自分の生活を優先する」という判断に、葛藤はありませんでしたか。両親の様子を見に月に1回帰るだけでも、精神的にかなりくるものがあったんです。これを毎日やったらこちらが壊れるなと。取材でも「親子ともども共倒れしてしまった」という話もたくさん聞いていました。仕事できなくなったら当たり前ですけど収入がなくなる。親の介護はいつか終わるのに、その後の自分の生活はどうするのかということになりますよね。ただ、母が弱ってきた頃「なんでうちの子たちは遠く行っちゃったんだろうね」と何度か言われたことがありました。でも「寂しいかもしれないけど、それが私たちの人生だからごめんね」って伝えたら、母も「そうだよね」って。それを聞いて、子どもが仕事を辞めて介護することを、何より親が喜ばないんだと思ったんです。子どもが自分の人生を幸せに生きていないと、親も幸せじゃない。だから自分の生活を守ることは、回り回って親のためにもなるんだと思います。——そのかわりに、遠距離でもご両親を支えるための仕組みをつくっていったんですね。そうなんです。ケアマネジャーさん、ヘルパーさん、訪問診療の先生、訪問薬剤師さん、訪問看護師さんなどなど、私がキーパーソンになって皆さんに会って、連絡網をつくりました。朝は父になんとか頑張ってトーストを焼いてもらい、昼はヘルパーさんにご飯をつくってもらい、夜は安否確認も兼ねて配食を手配して。何かあれば電話やメールで皆さんとやりとりしながら、山口にいながら何かあればすぐ動ける体制にしたんです。土日だけはどうしてもヘルパーさんが入れなかったので、姉とシフトを組んで、週末はどちらかが行くようにしていました。——それでも大変な時期はありましたか。一度だけ2週間で東京と山口を5回往復したことがあります。人間やればできるなと思った一方で、「これを続けていたらこっちが死ぬな」と思いました。体重もかなり落ちましたし、遠距離介護の期間は正直仕事にも支障をきたしました……。もちろん、親が危篤になったとか、急に体調が悪くなったっていうときに、すぐそばにいられないのは気持ち的にやっぱりキツいですよ。でもそれは最初から覚悟していたこと。行けないときはケアマネさんや在宅看護の方にお願いしようと、腹をくくるしかなかったですね。「認知症は全員なるんだよ」認知症の母を“面白い”と受け入れられた——取材を進める中で、ご両親の介護に対する向き合い方が変わった瞬間はありましたか。認知症の専門家である杉山孝博先生に言われた「認知症は全員なるんだよ」という言葉は大きかったですね。それまでは認知症って特別なこと、家族がなったら人に言えないんじゃないかと思っていたんです。でも、長生きすればみんながたどる道だと。そう言っていただいたことで、考え方がガラッと変わりました。今は全然抵抗なく「うち、認知症だったんだよね」って話せますし、それが当たり前になってきたなと感じています。自分も85歳を過ぎたらなると思っているし(笑)。%3Csmall%3E%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA2%E5%86%8A%E7%9B%AE%E3%80%8E%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%A7%E8%A7%A3%E6%B1%BA%20%E8%A6%AA%E3%81%AE%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87%E3%81%A8%E3%81%8A%E9%87%91%E3%81%8C%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%8F%E3%82%88%E3%82%8A%3C%2Fsmall%3E——「全員認知症になる」と思えるようになると、ショックの受け止め方も変わりますよね。そうなんです。母は最終的に認知症になったんですけど、認知症の人の話を聞くのって、実は面白いんだなって思いましたね。ないことを本当にあったことのようにサラサラしゃべるんですよ。会いに行くたびに、母のありもしない近所の人の話を「へえ、そうなんだ」って聞くのが楽しくって(笑)。一体その話はどこから来るんだろうっていつも思っていました。——なるほど。お母さまのお話を否定せずに、一緒にその世界に付き合っていったんですね。そうなんです。でも、お金の話になると急に正気になったりするんですよ。かなり前に入った保険の話とか覚えてて。不思議なんですけど、それがとにかく興味深かったですね。最初は親が老いていくことをちょっと受け入れがたかったんですけど、それを乗り越えると、「親も人間なんだな」って思えました。「老人ホームは親不孝」という呪縛——最終的にご両親は老人ホームに入られたんですよね。3冊目のタイトル『老人ホームは親不孝?』はドキッとするタイトルです。実はこのタイトル、担当編集者の思いが強く込められたタイトルなんです。彼女は「親は子どもが介護するもの」という意識が強くあったみたいで、施設に入ってもらうことへの罪悪感が簡単には拭えないって言っていたんですよね。——うちも認知症の祖母を母が自宅で5年ほど介護していたのですが、施設に入れたときは「本当にこれでよかったのかな」とよく話していました。そういう人は多いと思います。でも、本の装丁をしてくれた30代のデザイナーさんに「老人ホームって親不孝じゃなくて親孝行ですよ」とはっきり言われたんです。もう、目からうろこで。世代が変わると、こんなに捉え方が違うんだなと思いましたね。なかには、老人ホームの費用を負担するのが大変だから在宅介護を選んでいる人もいるかもしれません。ただ、取材を通じて、費用がそれほどかからない施設があることも分かったんです。そういう施設があることを知っていれば選択肢は広がるし、知っていること自体が親孝行になるんだと確信しました。——ちなみにトメさんはどのように施設を選んだのですか。まず、紙に条件を書き出しました。父がパーキンソン病だったので、医療体制が手厚い施設であることがマストだったんです。次に実家から通える距離。父が「ときどき家に帰りたい」と言っていたので、横浜にあることが条件でした。あとは食事と雰囲気の良さですね。条件を明確にしておくと、迷いが少なくなりますね。この条件を山口からコーディネーターさんに伝えていくつか提案してもらい、5か所を実際に見学して2か所に絞ったんです。姉にも見学してもらいました。最終的な決め手は「雰囲気」でしたね。ひとつはまだ新しくてすごくきれいだったんですけど、姉が「人気(ひとけ)がないから、放っておかれるのがちょっと心配」と言っていて。もうひとつの方は豪華さはないけれど、介護士さんがたくさんいてアットホームな感じだったので、そちらに決めました。——本の中ではお父さまが「老人ホームなんか絶対行きたくない」と言っていたと書かれていましたね。そうなんです……!母はもともと現実的で、元気な頃から近所の老人ホームを見学に行っていたぐらいだったので、「ホームの方が安心」と言っていたのでまったく問題なかったんです。でも、父は非現実的で「まだ大丈夫」とずっと言っていましたね。ただ、実際に入居したら腹が決まったのか、カラオケを始めたり、母よりも積極的にエンジョイしようとしていたのが面白かったです。その矢先に亡くなってしまったのが残念でしたけどね。「自分の仕事は絶対に辞めない」。この言葉は、一見ドライに聞こえるかもしれません。でも、自分の生活をちゃんと守ることが、共倒れを防ぎ、親にとっても安心につながる。トメさんのお話を聞きながら、そのことを強く感じました。そして「老人ホーム=親不孝」という思い込みから自由になることで、選択肢はぐっと広がる。知れば知るほど、親にとっても自分にとっても良い道が見えてくるのだと思います。次回は、トメさんが考える介護に対する不安との向き合い方や、「親が元気な今のうちに」できることについてお届けします。>>#3はこちら【書籍紹介】『マンガで解決 親の介護とお金が不安です』(主婦の友社)著者:上大岡トメ 監修:黒田尚子※電子書籍あり『マンガで解決 親の認知症とお金が不安です』(主婦の友社)著者:上大岡トメ 監修:杉山孝博/黒田尚子※電子書籍あり『マンガで解決 老人ホームは親不孝?』(主婦の友社)著者:上大岡トメ 監修:畠中雅子※電子書籍あり