『ロスト・ケア』はまさに、介護を必要とする本人とその家族の苦しみを軸に、社会問題を糾弾する社会派本格ミステリ小説だ。物語は、一人の男に死刑判決が下されたシーンから始まる。〈彼〉はのべ43人もの人を殺した戦後犯罪史上最悪の事件を引き起こした犯人だが、その正体や動機は明かされない。しかし、さまざまな人物の視点から語られる「介護」の問題が、事件の真相を、そして社会の問題を炙り出していく。たとえば、実母の介護と育児のダブルケアを担っていたシングルマザーの羽田洋子も、〈彼〉に実母の命を奪われた被害者遺族の一人だ。しかし、犯行が発覚してから判決が出る日まで、〈彼〉に対する怒りも憎しみも湧かなかったという。その背景にあるのは、洋子自身が「地獄」と称する介護の日々だった。自分の娘が娘だとわからずに奇声を上げ、噛みつき、糞尿を漏らし、それを口に含み、暴れ、留守中にはベッドに括り付けておかないと部屋中を這い回る母。そんな母と子どもの世話を一手に引き受けつつ、家計を支えなければならない環境に置かれた洋子の心情を思うと、ページを手繰る手も重くなる。介護疲れから介護を必要とする家族を虐待したり、最悪の場合には死に至らしめてしまったりした事件をニュースで見聞きすることがある。「どうして暴力をふるってしまったのか」「外に助けを求められなかったのか」と問うのは簡単だけれど、「自分の大切な人だからこそ最期まで世話をしたい」という想いもあったはずだ。また、介護制度の“穴”や制限を受けて、家族を介護せざるを得なくなったということも多い。暴力に訴えてはいけないという主張は“当然”のこととしても、それはすべて「個人の責任」なのだろうかと逡巡してしまう。また、介護の問題に直面しているのは、羽田洋子だけではない。仕事が多忙で高齢の父の世話をすることができず、介護施設に入所させることを決めた検察官の大友秀樹。大友の学生時代の友人で、「介護ビジネス」の“成功者”になるも、国が定めたルールとの狭間で追い詰められていく佐久間功一郎。佐久間がけん引する介護施設で施設長として働き、厳しい労働環境のもとで働くスタッフを束ねている団啓司。父の介護をした経験から介護の仕事を始め、団と同じ施設で働きながら介護の現場を第一線で見つめる斯波宗典。それぞれの立場から語られる「介護」は、実態に見合っていない法規制や介護職の負担の大きさ、それによる労働者不足といった問題を浮き彫りにする。さらに、本作は刑務所に入ることを目的として万引きをした身寄りのない高齢女性や高齢者をターゲットにした「オレオレ詐欺」など、少子高齢化を背景として引き起こされるこの国の諸問題にも光を当てる。現代を生きる誰しもが逃れられないテーマを扱いながら、登場人物一人ひとりの視点や感情をリアリティをもって描き切っている。しかも、犯人は誰なのか、そして何の目的でこのような犯罪に手を染めたのかという謎を解き明かすミステリとしての構成も緻密に編まれている。まさに「社会派本格ミステリ」と呼ぶべき作品だ。冒頭からところどころ聖書を引用してきた物語の最後では、こんな言葉が登場する。正しい者は一人もいない。楽園ではないこの世界で生きる者は、一人残らず罪人だ。確かに、この世界で生きる者は、一人残らず「罪人」だろう。しかし、同時に「被害者」ではないかと思った。本作が突きつける「救い」のかたちは、あまりにも残酷で、けれどあまりにも切実だ。目を背けたくなるようなこの物語の中にこそ、私たちがこれから生きていくための、本当の、そして普遍的な問いが隠されている気がしてならない。出典:『ロスト・ケア』葉真中顕著(2015年2月10日発売)