おばあさんが道に迷ってしまったのは、これが初めてなのだろうか。警察に見つけてもらえたのはよかったけれど、事故に遭ったり、どこか人目につかない場所で車ごと動けなくなっていたりしたら。あるいは、これが真冬だったら。私が暮らす地域は氷点下20度まで冷え込む。他人事ながら背筋が冷えた。もしも私が彼女の子どもやパートナーなら、在宅介護の限界を考え始めるかもしれない。年がそう離れていないのだとしたら、旦那さんのほうだって、いずれ介護が必要になる可能性はある。それでも、自分の手で最期まで看たいという思いがあるのだろうか。本人が、断固として施設入居を拒んでいるのだろうか。あるいは、そもそもお金の問題があるのかもしれない。少し考えただけでも、施設に入らない理由はいくらでも思い浮かぶ。けれど、そのどれもが、事故や遭難といった最悪の事態の前では頼りない。とはいえ、在宅介護の真っ只中で重い腰を上げ、施設を探し、本人を説得し、家族の意見をすり合わせることを想像すると、それだけで途方に暮れる。本人はどんな生活を望んでいるのか。医療や介護の体制は十分なのか。家族はどのくらい関われるのか。費用は払い続けられるのか。住み替えた先で、その人は尊厳を保って暮らせるのか。考えなければならないことが、あまりにも多い。それが自分や自分の大切な人に関わる選択だったとしたら。敷地内に残されたおばあさんの車を窓越しに見据えながら、自分ごとのようにぐったりしてしまった。◇『マンガで解決 老人ホームは親不孝?』は、まさにそうした問いの前で立ち尽くしてしまう人の味方になってくれる本だ。本作は、イラストレーター・上大岡トメさんの「マンガで解決」シリーズ(主婦の友社)の中の1つで、山口で暮らすトメさんが、横浜で暮らすご両親の介護に向き合った体験を描いたもの。3部作の中でも、老人ホームへの入居をテーマとした3作目の『老人ホームは親不孝?』では、高齢者施設選びの基本や見学時のチェックポイント、親への切り出し方や説得のしかたまで、“介護ビギナー”の前に次々と立ちはだかる困りごとに対して、具体的なヒントを差し出してくれる。 「介護は情報戦。だからこそ知ることと話すことが大事」親の老後について3冊の本を書いた理由【上大岡トメさんインタビュー #1】パンチが強いタイトルに、ドキッとする人もいるかもしれない。しかし読んでみると、当事者の想いや困りごとに寄り添いながら、「親を施設に預けること」への罪悪感を抱える人に向けて、まっすぐに言葉を届けようとしている本だとわかる。このタイトルも「親は子どもが介護するもの」という意識が強くあった本書の担当編集者の想いが込められたものだそうだ。「仕事を辞めたら、親も喜ばない」遠距離介護を乗り切るためのルールと“自分の生活”の守り方【上大岡トメさんインタビュー #2】一方で、本書の装丁を担当した30代のデザイナーは「老人ホームって親不孝じゃなくて親孝行ですよ」とはっきり言ったという。制作陣の中でも、これほど価値観が異なる。だからこそ本書には、上大岡さん自身の体験だけでなく、「親の施設入居体験」やアンケートなど、介護経験のある当事者たちの声も豊富に盛り込まれている。 とくに印象に残ったのは、「『在宅介護はもう無理!』と感じたのはこんな場面」「『もうそろそろ』の段階でも親を施設に入れていません」という2つのアンケート結果(体験談)だ。近しい状況でも在宅介護を続ける人もいれば、施設への入居を決断する人もいる。どちらの選択にも貴賤はないということを示しつつも、考えるための材料を差し出してくれる。本書のこうした姿勢は、日々悩みながら介護に向き合う当事者たちにとって、少なからず力になるはずだ。ただし、どんな選択も否定しないというスタンスを貫く本書でも、1つだけ明確に主張していることがある。それは、施設入居という選択肢を、あらかじめ持っておいたほうがいいということだ。本書の監修者であるファイナンシャルプランナーの畠中雅子さんは、在宅介護を否定しないとしつつも「在宅にこだわるゆえ施設探しを全くしていないこと」は問題だと指摘する。最期まで自宅で看取るつもりでいたとしても、どうしても自分たちの手に負えない事態になることはある。そのときに慌てて施設を探しても、「高い」施設か「人気がない」施設のどちらかしか残っていない、ということになりかねないからだ。ここからは私の意訳だが、そうした消去法で親の暮らしを選ばざるをえなくなることこそ、「親不孝」になりかねないのではないか。選択肢を知らないまま、話し合わないまま、限界が来るまで先送りにしてしまうこと。その結果として、本人にとっても、家族にとっても、苦しい選択しか残らなくなってしまうこと。本書が問いかけているのは、むしろそちらなのだと思う。◇警察官が訪れた翌日、出先から戻ると、敷地に停められていたおばあさんの車はなくなっていた。私はおばあさんの顔も、旦那さんの顔も知らない。それでも、ふとしたときに、その後の彼らの生活を考える。あの出来事をきっかけに、何かが変わったのだろうか。それとも、変わらない日々がそのまま続いているのだろうか。老いは、ある日突然、玄関先にやってくる。自分の親のこととして。やがては、自分自身のこととして。そのときになって初めて慌てるのではなく、知っておくこと、話しておくこと、施設への入居という選択肢も持っておくこと。そのことは、少なくとも私には「親不孝」とは正反対のものに思えた。出典:主婦の友社『マンガで解決 老人ホームは親不孝?』上大岡トメ著(2025年8月6日発売)