男手ひとつで育ててくれた父の再婚Aさんが高校生のとき、実の母親が病気により他界した。その後、父親が男手ひとつで、Aさんを何不自由なく育て上げてくれた。子煩悩で温かい父親だったという。大学卒業後、Aさんは結婚して家庭を持ち、子どもにも恵まれた。父親が再婚を決意したのは、娘の幸せを見届け安心したタイミングだった。当時、父親はまだ40代後半。「周囲からの勧めもありましたが、何より『娘に将来、自分のことで面倒をかけたくない。これからはお互いに自立して生きていこう』という、父なりの優しさと決意があったのだと思います」と、当時のことをAさんは振り返る。父親が結婚したのは、当時30代後半だった女性。父親の再婚当時、Aさんはすでに結婚し、母親となっていたこともあるが、継母は父よりも10歳ほど年下。そのため、継母を、新しい「母親」と感じるのは難しく、どちらかといえば「父の再婚相手」として受け入れていたという。継母との関係構築に難しさを感じていたAさんだったが、その関係性を和らげてくれたのがAさんの夫や子どもたちの存在。継母はAさんの連れてくる孫(子どもたち)のことを、よく可愛がってくれた。Aさん夫婦が新居を構える際、夫から「お父さんたちの近くに住もうか」という提案があった。父親も継母もそれを歓迎し、優しいおじいちゃんおばあちゃんとして孫の面倒をよく見てくれた。継母とAさんとの関係が特段深まることはなかったが、お互いに一歩引いた、つかず離れずの関係性を保っていたという。特に大きな問題もなく、穏やかな年月が何十年と過ぎていった。継母を介護する理由は「父がお世話になった人だから」時が流れ、父親が80代でこの世を去った。実家に残されたのは、70代になった継母。元気なうちはそう手もかからないだろう……そう考えていたAさんだったが、父亡き後、数年後に継母に認知症の症状が現れ始める。次第にひとりで生活することがままならなくなっていく継母を前に、Aさんは迷うことなくサポートすることを決めた。Aさんと継母の間に、血のつながりはない。法的な扶養義務があるわけでもない。それでも動いたのは、「最愛の父を長年支え、お世話してくれた人」という強い思いがあったからだ。血のつながりがないからといって、無下に放り出すことなどできるはずがなかった。ちょうどその頃、Aさんは長年勤めた仕事の定年を迎えていた。「これも何かの巡り合わせかもしれない」と、継母の介護をすることを決めたのだ。近くに住んでいることもあり、行き来は大変ではなかった。それでも自分たちの生活と継母の生活の両方を取り仕切るのは、それなりの時間と体力がいる。定年後に思い描いていた自由時間は、ほぼ継母との時間に消えていった。「主人も『あなたのお父さんがお世話になった人なんだから』と嫌な顔ひとつせず、精神的に私を支え続けてくれました。それは本当にありがたかったですね」周囲からは「実の娘でもここまでできない、立派だ」と称賛された。だがAさんは、褒められたくてやっていたわけではない。「父がお世話になった人だから」親を介護するのとはまた違った責任感のようなものが、Aさんを突き動かしていた。継母の他界後、一変した親族の態度数年間に及ぶ在宅介護の末、継母は旅立った。やりきったという思いに包まれたのも束の間、葬儀が終わったあとに、重い現実がAさんに突きつけられる。Aさんと継母の間には「養子縁組」がされていない。そのため、法的にはAさんは継母の相続人になれない。継母が遺した預貯金や貴金属などは、継母側の血縁者が相続することになった。一方で、実家はもともと父名義だったため、父の死後の相続を経て、Aさんと継母の共有状態になっていた。そのため、継母の死後は、継母が持っていた実家の持分が、継母側の相続人との手続きの対象になった。生前、懇意にしていた継母のきょうだいたちは、Aさんの献身的な介護を間近で見ていた。そのため、「Aさんが実の娘のように尽くしてくれたんだから、家も財産もすべてAさんが受け取るのが当たり前。私たちは全員、権利を放棄する」と明言してくれていた。実際、継母の家系は実業家が多く、経済的に困っている人はほとんどいなかったため、Aさんもその言葉を疑うことはなかった。しかし、いざ相続の段になったとき、状況は一変していた。時の流れとともに、その優しかった継母のきょうだいたちは、すでに入院して意思能力を失っていたり、鬼籍に入ったりしていたのだ。つまり、実際に法的な手続きを進める相手となったのは、その下の世代。つまり、Aさんとはまったく面識がなく、これまでの介護の苦労や事情を何も知らない「継母の甥や姪たち」だった。「葬儀の席では、彼らも『叔母が本当にお世話になりました』と涙を流して頭を下げていたんです。でも、四十九日を過ぎて法的な手続きのために、私が継母の遺産や貴金属、通帳の記録をすべてクリアに洗い出して差し出したとき、彼らの態度がガラリと変わりました」彼らは何の躊躇もなく、差し出された財産をそのまま自分たちのものとして受け取った。「これまでにかかった介護費用を少しでも考慮してほしい」と言いたい気持ちもなかったわけではない。しかし、それは自分がやりたくてやったこと。法的な取り決めや記録がないなかで、当然のように認めてもらえるものではないことも、Aさんにはわかっていた。父が手続きをしてくれていたなら結果として、継母の甥や姪は、継母が持っていた実家の持分については、Aさんに譲る形に応じた。そのためAさんは父親との思い出が染みついた実家だけは手放さずに済んだ。父親がこだわりを持って建て、自分が育ち、孫たちの成長を見守ってくれた大切な家。しかし、そこには安堵と同時に、不安もあったという。「今回は『プラスの財産(遺産や家)』があったから、甥や姪たちも喜んで受け取り、実家の名義も放棄してくれました。でも、もし継母に多額の借金があったり、実家が売るに売れない『マイナスの財産(負動産)』だったりしたらどうなっていたか……と考えると、ゾッとします」法的に血のつながりがないAさんは、継母の相続人ではない。そのため、継母の財産や借金をそのまま引き継ぐ立場にはなかった。一方で、父との思い出が残る実家の一部は、継母側の親族の相続手続きに左右される状態だった。もし、継母側の財産や負債の状況が複雑だったら、実家を守るための交渉や手続きは、さらに難しいものになっていたかもしれない。「私は決して『お金が欲しかった』わけではないのです」とAさんは何度も強調する。ただ、何年も介護をしてきた日々は何だったのだろうか――。法というドライな存在の前では、血のつながりのない人間の「尽くした歳月」や「家族としての情愛」など、少しも考慮されないという現実がある。「私自身、継母と養子縁組を考えたことがありませんでした。血のつながりのない娘の私から『養子縁組をしてほしい』なんて、財産目当てのようで口が裂けても言えません。もし言い出していたら、継母だってきっと嫌な顔をしたでしょう。お互いにいい距離感を保っていたからこそ、そのバランスを壊すことはできなかったんです」だからこそ「父が健在のときに、父の主導できちんとしておいてほしかった」というのがAさんの素直な気持ちだ。父親が生きている頃に、家族の将来を見据えて法的な手続きを進めてくれていたら、こんな結末にはならなかったかもしれない。「家族だから」「恩があるから」という気持ちの裏で、法的なケアを怠ったがゆえに傷つくことがある。少子高齢化、そしてステップファミリー(子連れ再婚家庭)が増える現代において、Aさんのようなケースは決して特別なものではなく、家族のかたちが多様になるなかで、私たちが考えておきたいテーマのひとつなのかもしれない。