繰り返す検査入院で奪われゆく父の日常今から2年ほど前のこと、80代の父ががんの宣告を受けた。病気そのものはすぐに判明したが、腫瘍のある場所がわかりにくかったらしく、すぐに手術や具体的な治療へと進むことができなかった。精密検査、再検査、そしてまた検査……。父は検査入院を何度も繰り返しながら、数か月という時間が過ぎていった。余命がどれくらい残されているのか、何度聞いても医師の答えははっきりしない。ただ目の前の検査について、淡々と話を聞かされるだけ。そういうものだと頭では理解しつつも、先の見えない状況に不安を募らせるTさん家族。何よりもつらかったのは、何度も検査入院を繰り返すうち、父の体力が目に見えて落ちていったことだった。体格がよく、活動的だった父が、会うたびに一回りずつ小さくなっていくような感覚。今すぐにどうこうということはないとしても「そのとき」が来るのは、そう遠い未来ではないのだろう。父にとって、車は「希望」だった父の病気が判明する少し前のこと。お正月に家族が久しぶりに集まったとき、両親の免許返納が話題にのぼった。Tさんは実家から1時間以上離れた場所に住んでいる。弟ふたりは関東住まい。両親の普段の暮らしぶりが見えないからこそ、両親に早めに老い支度を進めてほしいと願っていたのだ。80代になったばかりの母は、その話し合いのあとすぐに、自身の運転免許を自主返納することを決めた。もともと運転が得意じゃなかったこともあるが、地域柄、車がなければ生活が成り立たない場所だ。しかし「夫婦ともに運転できる必要はもうない」と、いち早く免許を手放した。しかし、あっさり免許を手放した母とは対照的に、父は返納を拒んだ。「俺はもうしばらく、自分で運転したいんだ」ドライブや買い物に出かけることが、何よりも楽しみだった父。確かに辺鄙な田舎町では、車がなければどこにも行けない。公共の交通機関を使おうにも、バスは1時間に1本程度しか走っていないのだ。それなら仕方ないと、いったんは保留になった免許返納だった。しかし、その後、病気の進行につれ、次第に父の体力は減退していった。階段を上ろうにも足が上がらない、ちょっとした段差でつまずく、外出の際は杖が欠かせなくなる。あのはつらつとした父はどこへ行ってしまったのか。それでも、父は車を手放す気はないようだった。「治療がうまくいけば、自分は元気になる。そうすれば、また運転できるはずだ」 そう信じたかったのだろう。車があるということは、父にとって「まだ自分は現役で、健康に戻れる可能性がある」という希望そのものだったのかもしれない。その膠着状態を、あまりにもあっけなく破ったのは、遠方に住む弟だった。ある日、実家に帰省してきた弟は、父に事前の承諾を得ないまま、車の売却手続きを進めることにしたのだ。確かに、免許を返納するかどうかは最終的に父自身の判断に委ねるしかない。けれど、もう乗ることもない車をそのまま置いておけば、場所をとるだけでなく、車検や保険などの維持費もかかり続ける。これからの医療費や生活費を考えれば、経済的な負担を少しでも減らすために、「今、車を売却すること」が最も賢明な判断なのは、誰の目にも明らかだった。弟は弟なりに、現実を冷静に見据えて動いたのだろう。とはいえ、最終的には車の名義人である父の判断と同意が必要になる。子どもからまさか「車を売る準備を進めている」と事後承諾の形で突きつけられるとは、父も夢にも思っていなかったはずだ。頑なに拒絶するかもしれない。当初、Tさんはそう考えていた。あの父が、すんなり車を売ってしまうことを承諾するだろうかと。しかし、父の口から出たのは、「……頼んだ」という一言だったという。その話を弟から聞いたTさんは、胸の奥がキリキリと痛んだ。どう考えても車は売ってしまったほうがいい。でも、それが今である必要があっただろうか。父の「元気になりたい、生きていたい」という思いを、私たちは大事にできているのだろうか。母の願い「子どもたちの側で暮らしたい」車という大きな荷物をひとつ下ろしたものの、Tさん家族には、それ以上に大きな懸念事項がある。それは、残された実家をこれからどうするのかという問題だ。Tさんは、実家から1時間以上離れた場所に住んでおり、夫の両親と同居している。自分の家庭の生活があり、義理の両親のサポートも必要な身としては、実家の面倒を丸ごと引き受けることは物理的に不可能なのが現状だ。ふたりの弟たちは、それぞれ関東に生活の基盤を移している。つまり、この先、実家に戻ってくる予定のある子どもは、Tさんきょうだいの中にはいないのだ。「お父さんが他界したあと、お母さんはどうするの?」さりげなく母に聞いてみたTさん。すると、母は少しためらうかのようにこう答えた。「私はひとりになったら関東に行きたい。子どもや孫たちのそばで暮らしたい」実は、10年以上前、弟から両親に打診をしたことがあった。「どうせ実家には誰も帰ってこないのだから、早いうちにこっちに来ないか」弟は両親を関東に呼び寄せようとしたのだ。しかし当時は、父も母も70代になったばかり。特に健康上の問題もなく、地域行事や友人たちとの時間を楽しんでいた。そのため、あっさりと弟からの提案は立ち消えとなってしまったのだ。しかし、10年経った今、状況はあの頃とずいぶん変わっている。子どもたちとしても、実家に母ひとりを残すより、誰かの目が届く関東に引き取ったほうが安心できる。母自身もそれを望んでいる。しかし、この計画を、誰も父に言い出すことはできなかった。父は常々「俺は生まれ故郷を、死ぬまで離れたくない」と口にしてきた。地元愛が人一倍強い父。そんな父が、自分の亡き後、妻が自分の生まれ故郷を離れ、関東へ引っ越してしまうと知ればどれほど落胆し、絶望することか。病床にある父に、そんな精神的な追い打ちをかけるようなことは、家族として絶対にできないとTさんきょうだいの認識だった。父が元気なうちに、家の中を整理しておきたいその一方で、残される母のことを思うと、Tさんはどうしても焦りを感じてしまう。三世代同居だったTさんの実家は家が広く、部屋数も多い。それぞれの部屋には大量の家具や荷物が置かれたままだ。父がいなくなってしまったら、その広い部屋に母がひとりになってしまうのだ。膨大な遺品に囲まれて過ごす母のことを想像すると、早めに手を打っておく必要があるように感じるのだ。けれど、母自身もまたTさん同様、病気と闘っている夫に向かって直接「あなたが死んだあとのために、今のうちに片づけて」とは、口が裂けても言えない。だからこそ、Tさんは実家に帰省したタイミングを見計らって、あえて悪者になる役割を買って出る。父の前で、少し強気なトーンを意識しながら、無理やり声を張り上げるのだ。「もう、早く片づけないと、後で残されたみんなが本当に困るんだからね〜!」半分は冗談めかし、半分は強引に迫りながら、Tさんたちは実家の片づけを一歩ずつ前へと進めている。父の視線を少しだけ気にしながら、まるで罪悪感を振り払うかのように、手を動かし続ける。限られた時間の中で重ねる選択父に残された時間がどれくらいあるのかは、誰にもわからない。Tさんは、母の引越し計画を父に隠し、父がいなくなった後の現実的な未来を想像している自分を後ろめたく感じることがあるという。これが正しいことなのか、もっと他に良い方法があるのではないか、と自問自答する毎日。みんなが親を想い、未来を見据えているだけなのに、どこかで小さな嘘や割り切りが必要になってしまう現実は、もどかしい。Tさんの子どもたちは、今がいちばん教育費がかかる時期。頻繁に実家へ通えるわけでもない。ままならない日常の中で、親の老いと誰もいなくなる実家の未来をどう見届けていくべきなのか。すぐにこれといった正解は出せそうにない。まずは今できる片づけを少しずつ進めながら、次の判断の機会を待つしかないのだと、自分に言い聞かせている。