“そのとき”が来る前に、見送る側へ届けたかったこと大井:まずは、安井先生がこれまで取り組まれてきた在宅医療や地域医療の原点からうかがえますか。安井先生:2013年に在宅医療(訪問診療)を行うやまと診療所を立ち上げたのですが、そのときから「自宅で自分らしく死ねる、そういう世の中をつくる」という理念を掲げていました。その後2021年に「おうちにかえろう。病院」を設立しました。この病院も、地域で最期まで過ごしたい人たちを支えるための病院です。病院というと、治療をするために行く場所というイメージがあると思うんですが、僕らとしては「この病院があるから、地域で最後まで住める」と言ってもらえる場所にしたかったんです。%3Csmall%3E%E3%80%8C%E3%81%8A%E3%81%86%E3%81%A1%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8D%E3%81%86%E3%80%82%E7%97%85%E9%99%A2%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%83%8F%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%80%82%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%81%A8%E4%BD%B5%E8%A8%AD%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%80%81%E6%82%A3%E8%80%85%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AF%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%A8%E2%80%9C%E5%AE%B6%E3%81%AB%E5%B8%B0%E3%82%8B%E2%80%9D%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%3C%2Fsmall%3Eほかにもさまざまな取り組みを行っていますが、僕らは一貫して「地域で最期までどう自分らしく生きるか」「最期をどう迎えるか」というテーマを掲げています。大井:終末期医療について医療の側面から伝える本などはこれまでもあったと思います。でも、医療者が見送る側の視点に立って書かれた本はあまり見かけたことがなくて。『大切な人が亡くなる前に あなたができる10のこと』(かんき出版)は、なぜ見送る側に向けて書かれたのでしょうか。安井先生:おっしゃる通り、僕らも含めてこれまで医療者側からの情報発信が多かったんですよね。近年は、特に都会では在宅医療の認知が少しずつ広がってきて、医療者も「在宅医療」という選択肢を提示するようになりました。でも、僕が始めた13年前は、病院の医療者も在宅医療の存在を知らないような時代だったんです。そのころから問題意識としてあったのは、在宅医療にたどり着ける人たちはそこから先は一定のサポートが入るけれど、もっと手前で「家に帰れる」という選択肢を知らないまま過ごされてしまう方々がいるということです。あるいは、そんなことを考える間もなく、医療者の“治療”という文脈にご本人も家族も一緒に巻き込まれていく。巻き込まれた後に意思決定しようと思っても、もう波に流されて、わからない状態になっているんです。大井:確かに、その渦中で考えるのは難しいでしょうね……。安井先生:だから今回の本は、当事者になってさまざまな情報の渦に巻き込まれる前に、なんとなくでいいから「最期を迎えるときはこうなるんだな」と知っておいてほしいと思って書いたんです。介護や親を看取ることって、40〜50代の方にとっては考えたくないことの代表ですよね。でも、いつか来るんだろうなとはみんな思っている。それに対して「こういうことなら少し前向きに取り組んで、親とこういう最期の時間を過ごせるといいかも」と思ってもらえる人が増えればいいなと思ったのが、一番のきっかけです。大井:私自身、祖母を見送った経験があります。その経験が自分の中ですごく大きくて。人間がどうやって亡くなっていくのかを知っているのと知らないのとでは、死に対する恐怖感がまったく違うんですよね。祖母とはあまり仲良くなかったんですけど、最後の最後にとても大事なことを教えてくれたから感謝しているんです。だから、この本を読んだときに、“そのとき”が来る前に知っておくことはやっぱり大きな意味があると感じたんですよね。安井先生:まさにそういった意図で読んでいただけたのは、すごくありがたいです。親の最終章は、家族にとっても物語の一部になる大井:本の中で「見送る側の終活を始めよう」という言葉がすごく印象的でした。そこにはどういう意味を込めたのでしょうか。安井先生:最期を迎えるとき、ひとりで死んでいく人はいないんですよね。人生100年時代と言われる中で、最初の十数年は親の庇護のもとで子どもが育ちますよね。それと同じで、人生の最後の10年くらいは誰かの手を借りながら過ごすものなんです。つまり、最期を迎えるご本人の最終章は、一緒に過ごす家族にとっても物語の一部になるということ。だから、最期に向けての準備は、ご本人はもちろんのこと、実はそれ以上に見送る人たちが事前にしておくことが大切なんです。大井:なるほど。最期を迎えるご本人だけでなく、家族にとっても大事な時間になるからこそ心づもりしておいたほうがいいんですね。安井先生:そうなんです。それに、最期を迎えようとしている人自身が自分の最終章をコントロールできたり、意思決定できたりする要素は、実はあまり多くありません。家族の意思決定によって決まる要素が多い。だからこそ、見送る側にちゃんと準備していただきたいという気持ちがあるんです。大井:うちの祖母のことでいうと、認知症になってからしばらくは母が在宅で介護をしていて、祖母は途中から施設に入りました。施設で体調が悪くなって病院に入院してそのまま亡くなったのですが、母はいまだに「どうするのが良かったのか」と言うことがあります。祖母が本当は何を望んでいたのか、結局わからないままだったんですよね。本人の意思をあらかじめ聞いておいたり、家族としてもどうすればいいのかを前もって考えておいたりすれば、そこで迷わなかったし、後悔も少なかったのではないかと思います。安井先生:ただ、どういう決断をしても正解はないんです。例えば、子どもが中学受験をするかしないか、どういう学校教育を受けるかって、本人の問題でもあるけれど、当然親の問題でもありますよね。その子によって「こういう対応がいいよね」はあるけれど、どれが正解かはわからない。だから、“親と一緒に考える”ことが大事なんです。大人になったら「自分のことは自分で考える」というのが当たり前ですが、いつか来る最期のときに備えてもう一度“親と一緒に考える”ことが必要なんだと思うんですよね。「聞きづらい」の奥にあるのは「なんとなく話したくない」かもしれない大井:ただ、介護のことや最期の迎え方といった話をすると、親から「縁起が悪い」と言われることもありますよね。子どもからも聞きづらいし、親も話したくなかったりする。そういう聞きづらさや話しづらさについては、安井先生はどう思われますか。 安井先生:そういう話をするのは難しいですよね。でも、難しいということに、みんながすごく深い意味を持たせているかというと、そうでもない気がしています。「なんとなく話したくない」が意外と多いと思うんですよね。きっかけがあれば話したい人たちもたくさんいるはずです。もちろん「そんなことは一切話したくない」という人もいらっしゃいますが、話すこと自体へのハードルは、実はそこまで高くないのではないかと思います。この本を読んでくれた僕の友人の中には、自分が読んだあと父親に渡したという人もいました。見送る側世代と見送られる側世代の両方が、同じものをテーマに少し話す。そういう形で広がっていくのもいいのではないかと思っています。大井:そのきっかけをどう作るか、ですよね。人が、人の最期に抵抗感を抱くのは「人が死ぬ瞬間を見たことがないから怖い」「看取りをやったことがないからできるかわからない」からなのかなと私は思うんです。私自身、祖母の看取りに立ち会ったことで、死を無駄に恐れなくなったからこそ、親ともこういう話をしやすくなったなと思っているので。安井先生:僕は、多くの人が “失うものの話”だと思っているから話したがらないんだと思うんです。だから怖い。最終的には死んでしまう、親がいなくなってしまうという話だと思っているからじゃないかと思うんです。でも、失うものの話ではなく、最期の瞬間に至るまでの“いい時間”をどうつくるかという話なんです。最期の迎え方を考えることは「最期に自分たちらしい時間をどうつくろうか」という話なんだよ、ということを強く伝えたいですね。ジェットコースターに乗る前に、少しだけ想像しておく大井:ただ、親が元気な段階で、子ども世代が親の最期をよりリアルに想像して考えるのはなかなか難しいですよね。それでも、今のうちから少しずつ向き合っておいたほうがいい理由はどういうところにあるのでしょうか。安井先生:僕らが接する患者さんやご家族にも当然元気だった時期があるわけですが、ではどこから変化するのかというと、ある日倒れて病院に運ばれて検査したら病気が見つかった、という急激なショックが起きるわけです。そのショック以降、ご本人とご家族はジェットコースターに一緒に乗ってしまう。その中で、治るのか治らないのか、どんな治療がいいのかという膨大な情報と向き合わなければなりません。理想としては、この状況とあわせて自分たちがこれから先どう過ごしていきたいのかを同時に考えることです。でも、ジェットコースターに乗って、しかも状況が変化していく中では、どうしても頭が全部そちらに向いてしまうんですよね。大井:もし私がその状況におかれたら、治療のことを考えるだけで精いっぱいになってしまうだろうなって思います。安井先生:ですよね。でも、横からそのジェットコースターを見ている人は、ジェットコースターの軌道がよく見えますよね。すごくドライに聞こえるかもしれませんが、自分のご両親が70歳を過ぎていたら、この先10年の間に体調や暮らしに大きな変化が起きるかもしれない、ということは想像できるはずなんです。その10年の間にどんなことが起きるのか。その中で自分は何を大事にするのか。そういうことを前向きに捉えられるのは、渦中にいる人よりも、まだ親御さんが元気な人のほうだと思うんです。大井:つまり親が元気だからこそ、そのジェットコースターの軌道を横から客観的かつ冷静に見ることができるということなんですね。その軌道を見るときは、子どもだけではなく親と一緒に見て考えることも大事なんでしょうか。安井先生:そうですね。多くの人は、生きているか亡くなったかの境界を“死”だと考えますよね。でも僕らの概念では、その手前も含めて全部が死に至る一連の過程なんです。元気なうちだからこそ、最期を迎えるまでの時間にフォーカスを当ててほしいなと思うんです。大井:親が元気なうちだからこそ、最期を迎えるまでの時間をどう過ごしたいのか、少しずつ考えることができるということですね。とはいえ、親と一緒にこういう話をするのに抵抗がある人も少なくないと思うんです。どういうきっかけがあれば話しやすいと思いますか。安井先生:きっかけは、本当に何でもいいと思います。人が亡くなるドラマや映画を見たときに、冗談めかして「最期に私に言っておくことない?」と親に聞いてみるとか。著名人が亡くなったときや、身近な人に何かあったときも、ひとつのきっかけになるのかなと思いますね。親の最期を考えることは、親を失う準備をすることだけではありません。親がこれまで何を大切にして生きてきたのか。これからどんな時間を一緒に過ごしたいのか。それを、少しずつ考えはじめることでもあります。いきなり重たい話を切り出さなくてもいい。映画や本、誰かの話、身近な出来事をきっかけに、親と少し話してみる。“そのとき”が来る前にできることは、大きな決断だけではないのかもしれません。親が元気な今だからこそ、何気ない会話の中に、これからの家族の時間を考える小さな入口があるのだと思います。 取材協力:医療法人社団 焔(TEAM BLUE)撮影:関口佳代