“いい時間”とは「何をしたか」より「誰と過ごしたか」大井:前編では、親が元気なうちに「見送る側の終活」を始めることについてお話をうかがいました。“そのとき”が来る前に少しでも心づもりをしておくことで、親や大切な人との最期の時間の受け止め方も変わってくるのだと思いました。ただ、一方で、実際に親の病気や老いが進んでいく中で、家族として「何かしてあげたい」「できるだけ後悔しないようにしたい」と思うことも多いのではないかと思うんです。先生はご著書『大切な人が亡くなる前に あなたができる10のこと』(かんき出版)の中で、見送るまでの時間を“いい時間”にすることの大切さにも触れられていました。先生が考える“いい時間”とは、どういう時間なのでしょうか。安井先生:例えば、余命があと3か月と言われたら「じゃあ、残りの3か月で何をしようか」と考えますよね。元気なときにそれを想像すると「最後にもう一度あの店でご飯が食べたいな」と思ったりします。でも、実際にその立場におかれてしまうと「俺、3か月後に死ぬんだよな……」という気持ちが強くなってあまり心が動かない人が多いんです。実際、料理が食べられるような状態ではなかったりもしますしね。でも、そのお店で過去に一緒に過ごした大事な人たちと、もう一度同じような時間を過ごすことには意味がある。自分は食べられなくても、家族が一緒に食べてくれる。その時間はご本人にとって“いい時間”になると思うんです。大井:残された時間の中で「何をしたか」よりも「その時間を誰とどう過ごすか」。それが“いい時間”につながるんですね。安井先生: あと、僕らはチーム内でよく“温かい死”という言葉を使います。ご本人が周りの人たちを思う気持ちと、周りの人たちがご本人を思う気持ちが、お互いに目に見える形でちゃんと伝わると“温かい死”を迎えられたなと思うんですよね。大井:どちらかの思いが一方通行になってしまうのではなく、お互いにその気持ちが伝わることが大事なんですね。安井先生:ご本人の家族への思いは、これまでの人生の延長線上にあるものです。本当はその思いをもっと前に家族に伝えてほしい。人生の残り時間がわずかになったなら、なおさらその思いを大事にしてほしいなと思うんです。しかし、特に日本人の場合、例えば「俺はお前と出会えて良かった」と思っていても、それを口に出すことはなかなか難しい。まして病院だと、やりとりが病気への対応だけになってしまい、思いの交換が起こりにくいんですよね。一方で、家という場所だとそれが起こりやすい。自分たちが一緒に過ごしてきた時間の中で、思いが自然と伝わることもありますから。家族同士ではなかなか直接言えなくても、在宅医療で僕らのような医療者が間に入って少し水を向けると、「俺、母さんに出会えてよかったんだよな」とポロッと言ってくれることもよくあるんです。 最近、ご本人が亡くなった後にご家族から「やりきった」という言葉をよく聞きます。人のお見送りをして充実感を得られることはなかなかないかもしれません。でも、充足感を得られる可能性はある。ご本人と気持ちを交わし合い、一緒に目いっぱい“いい時間”を過ごすことができたという思いがあれば、この先を生きていく人たちにとってプラスの経験になるのではないかと思うんです。ご本人の役割を奪わないことは価値観の尊重につながる大井:本に書かれていた「ご本人の役割を奪わない」という視点も印象的でした。例えば、親が病気だったり体が衰えたりしていたら、「あれやっちゃダメ」「これやっちゃダメ」と言ってしまうだろうなと思っていたので。安井先生:ご本人の大切にしている価値観や自分らしさはどこにあるのかというと、基本的には過去にあると思うんです。その方々が生きてきた過去の時間の延長線上に、自分らしさがありますからね。その方がしていた仕事、家庭内での役割、地域の中の役割……そういうものの中に、本人が大事にしている価値観が現れやすいんです。でも、病気や老いによって自分らしい選択ができなくなり、そこに医療や介護が介入すると、「患者」や「要介護者」として見られる時間が増えて、その人が生きてきた過去が見えにくくなる。それを防ぎたいんですよね。大井:うちの祖母はずっと商売をしていた人で、私が小さいときから実家でクリーニングの取次店をしていたんです。認知症がわかってからお店に立つのが難しくなり、祖母にとっては役割が強制終了したような感じだったのかもしれません。安井先生:役割を続けるのは難しかったでしょうね。ただ、そういう状態になったとしても、急激な断絶を起こさないことが大事かもしれません。例えば、施設や病院から2週間だけ家に帰ってきて、昔やっていたクリーニング屋さんの店先に昼間ちょっとだけ座る。その後、また施設や病院に戻る。もし、そのまま最期を迎えることになったとしても、その2週間が「あれは“いい時間”だったね」という会話につながる可能性はあります。最初から最後まですべてを“いい時間”にすることは、そもそもできません。でもご本人が大切にしている役割や価値観を大事にできる瞬間を少しでもつくる。それが“いい時間”を過ごすためのコツだと思います。本人の体に触れることも“いい時間”のひとつ大井:本の中で印象的だったのが、「ご本人の体に触れてください」という言葉でした。でも、「恥ずかしい」とか「どうやって触れたらいいかわからない」という人もいるのではないかと思います。私は祖母が亡くなった後、エンゼルケアをさせてもらったんです。そのときに「もう少しばあちゃんに触れておけばよかったな」と少し後悔しました。祖母とはあまり仲良くなかったので、体に触れる機会が少なかったんですよね。安井先生:体に触れることも、“いい時間”の中に含まれます。病室にお見舞いに来た人は、たいていベッドの横で立ったまま、寝ている人に向かって「大丈夫?」と声をかける。この距離感だと、なかなか一緒に時間を過ごすという感じにはなりにくいですよね。それに、親子が大人同士になると、会話をするときも適切な距離をとります。でも、その距離だと体に触れることができない。触ろうと意識すると、自然と距離が近くなるんです。あと、体に触れようとすると目線も揃いますよね。その人の見ている景色を、隣に座って一緒に見る。それが一緒に時間を過ごすきっかけのひとつになると思っています。子どものころは、親がたくさん自分に触れていたはず。そこから自立した時期があって、最期にもう一度、親子で触れ合う期間が来る。そう考えてもらえるといいのではないかと思います。大井:最近、70歳を超えたうちの親に、少しずつ衰えを感じることがあります。階段を下りるときに手を貸すと「あ、久しぶりに手を握ったかも」と思うことがあるんですよね。まだまだ元気ですけど、そういう時間をもう少し増やしていくことも大事なのかもしれないと思いました。延命の判断は、家族が決めるのではなく「本人の意思を代弁する」大井:「残された時間を“いい時間”にしてほしい」という安井先生のお考えはすごく理解できます。ただ、病気が発覚すると、残りの時間をどうするかよりも先に「病気を治さなきゃ」という気持ちになると思うんです。「治さなきゃ」という気持ちにどこかで折り合いをつけて、「じゃあ残された時間をどう過ごそうか」という気持ちに切り替えていくことは難しいのではないかと思うのですが……。安井先生:おっしゃるとおり、非常に難しい問題だと思います。がんを手術で取って根治することはもちろんあります。一方で、認知症や、骨・関節の衰えのように、治らないものもある。その場合は、その症状と共に生きていくことになります。ただ、その場合、どこかの段階で「ここから先は下り坂なんだよな」とご本人が自覚されていることも多いんですよね。そのタイミングが、一緒に“いい時間”を過ごしはじめるきっかけになるのではないかと思います。大井:それでいうと、延命の判断も非常に難しいなと思うんですよね。祖母が亡くなる前、母は胃ろうをするかどうか悩んだそうです。結局、母は「しない」という選択をしました。本人の意思がわからない中で、かなり酷な判断だったと思います。こうした延命の判断は、どのように考えていけばいいのでしょうか。安井先生:医療的な対応に対する判断の大原則は、本人の意思です。ただ、認知症などで本人の意思が確認できない場合、大井さんのお母さんと同じように「家族が決める」ということになります。でも、家族側からするとやはり重い決断ですよね。だからといって、万が一に備えてあらかじめご本人が意思を決めておけるかというと、それもやっぱり簡単ではない。ご本人の価値観を理解しているご家族に頼るしかありません。だから、僕らが説明するときは「娘さんは、ご本人だったらどういうふうに決めると思いますか?」と聞くようにしています。つまり「娘さんの意見をうかがっているのではなく、ご本人の意思を代弁していただいているんです」とお伝えするんです。僕らは「ご本人はどういうことを大事にしていたのか」をご家族の話からひもといて、最終的な意思決定をしていきます。大井:家族の希望で決めるのではなく、「本人だったらどう考えるか」を想像して判断するんですね。そう考えると、おそらく祖母の性格からすると、胃ろうしたいとは言わなかっただろうなとも思いますね。「きっとばあちゃんならこう考えたはずだ」と思って決断していたら、母の気持ちも少し救われたかもしれません。安井先生:その決断がご本人の価値観に基づいているかどうかで、残された人たちの納得感もすごく変わってくるんですよね。親が元気なうちだからこそ「いつか親を支えるときが来る」と想像してみる大井:安井先生は、親が元気なうちにどんなことを話しておくといいと思いますか。安井先生:自分の親がこれから先、どこかで具合が悪くなる。それを一緒に支える期間がある。そういうものだと認識して、そうなったときのことを今のうちから少し想像してみてほしいんです。だからといって、神妙な顔をして暗い話をする必要はありません。いつかそういうときが来るのだろうなと想像したときに、自分が大事な親とどういう時間を過ごすのか。それを考えていくうちに「今のうちに親にこれを聞いておきたいな」ということがポツポツと出てくると思うんです。考えたくないことではあるけれど、いつか自分の親も弱っていく。そう想像しながら、今の元気なご両親と少し会話をしてみてはいかがでしょうか。大井:私も親が最期を迎えるときに“いい時間”を過ごせるよう、今のうちから少しずつ話をしていきたいなと思いました。今日はありがとうございました。親の最終章に、家族ができることは何か。そう考えると、つい「正しい選択をしなければ」「後悔しないように全部やらなければ」と思ってしまうかもしれません。でも、安井先生の言葉から見えてきたのは、完ぺきな看取りを目指すことではありませんでした。体に触れる。目線を合わせる。思い出話をする。本人が大事にしてきた役割を少しだけ残す。たとえ数日でも、一度家に帰る時間をつくる。全部を“いい時間”にできなくてもいい。それでも、親が元気なうちから少しずつ想像しておいたり、親と話してみたりすることが、“そのとき”が来たときに親の最終章と向き合う支えになるのかもしれません。 取材協力:医療法人社団 焔(TEAM BLUE)撮影:関口佳代