そんなことを考えたのは、柴田理恵さんの『遠距離介護の幸せなカタチ 〜要介護の母を持つ私が専門家とたどり着いたみんなが笑顔になる方法〜』(祥伝社)を読んだからだった。同書は、柴田さんが故郷・富山で暮らす母を遠距離介護していた体験談と、介護の専門家へのインタビューで構成されている。最初に言っておくと、この本の“主役”は、介護の専門知識やノウハウではない。もちろん、遠距離介護経験者である柴田さんによる専門家の方へのインタビューは、当事者ならではの“あるある”が聞けてためになるし、柴田さんならではのユーモアが織り交ぜられていて、読んでいても楽しい。ただ、それ以上におもしろいのが、柴田さんの母の生きざまだ。本書の前半では、元気だった柴田さんの母・須美子さんが一度倒れたことをきっかけに始まった、介護生活の紆余曲折と、それまでの須美子さんの人生が語られている。そしてその主眼は、常に須美子さんという“その人”に置かれている。須美子さんは1928年生まれ。旧制の女学校を1946年3月に卒業した後、花嫁修業の一環で洋裁学校に進学するも、「男勝りで規定路線のように結婚を待つのが嫌」な須美子さんは3日で辞めてしまう。その後も“伝説”は終わることなく、若い男が兵隊にとられて教師不足だったことから、当時の女性としては珍しく、代用教員として採用。学校における大切なことが飲みの席で決まってしまう時代に、男性教諭に混じって酒を飲み、麻雀を打ち、真っ向から意見したという話。動物園の見学に行った際、生徒の一人がサルに傘をとられてしまったことがあった。須美子さんが取り返そうとしたところ、今度は須美子さんのメガネもサルにとられてしまい、慌てた須美子さんはサルの檻に入っての大バトル。やっとの思いでメガネを取り戻してかけ直すも、つるがぐにゃりと曲がっていて、生徒たちが大笑いしたという話。教師を引退した後は、近所の人たちにお茶や謡を教えることと、お酒を飲むことが何よりの楽しみだったという。そんな須美子さんだったからこそ、ある日突然「要介護4」の診断がついても、お茶や謡の教え子たちが待っていることやお酒を飲むことを希望にリハビリに励み、再びひとり暮らしをするまでに回復した。その後も、腰椎の圧迫骨折や飲み過ぎたことによる転倒で「“お岩さん”みたいな」大きなあざをつくったことなど事件は続くも、何度も何度もリハビリに励んで、ひとり暮らしの生活に戻ろうとする。子どもの立場からすれば、心配だから一緒に暮らしたほうがいいんじゃないか、施設に入ってもらったほうがいいんじゃないかと思うこともあるだろう。それが必要な場面も、もちろんある。けれど柴田さんは、これまでの須美子さんの生き様を知っていたからこそ、本人を信じ、「家で暮らしたい」という希望をできる限りかなえようと、あの手この手を尽くしたのではないか。親を大切に思えば思うほど、より安全な環境を整えたい。できる限り手をかけたいと思う。けれど、それはときに“子どものエゴ”になりかねない。本書には、役に立つ知識やノウハウがたくさん詰まっている。けれど、本書が一貫して伝えているのは、本人、“その人”がどうしたいかを考えることなのだ。◇私の祖母は雪深くなる冬こそ、私の父が住む家に身を寄せていたが、雪が溶け始めると「帰りたい、帰りたい」と言っていた。なんであんなに不便な場所でひとりで暮らしたいと思うのか、当時は全くわからなかった。けれど、住んでみるとよくわかる。家の前には畑があり、そのずっと向こうには山がある。山はどんな日でも、そこにある。春にはふきのとう、アイヌネギ、ヨモギが順番に顔を出し、その後も生えているものが少しずつ変わっていく。そうやって、季節が移ろっていくのがわかる。不便で、退屈で、でも、ここでしか得られない安心がある。もしも私に孫ができたとしたら、かつての私のように「なんでおばあちゃんは、こんな辺鄙なところに好んで住んでいるんだろう」と思うだろう。私もそうだったのだから、それは仕方ない。けれども、この地で生まれ育っていく息子には、その想いを知っていてもらいたいと思う。人は年を重ねても、ただ守られるだけの存在になるわけではない。帰りたい場所があり、続けたい暮らしがあり、その人だけの理由がある。そのことを、できるだけ忘れずにいたい。出典:『遠距離介護の幸せなカタチ 〜要介護の母を持つ私が専門家とたどり着いたみんなが笑顔になる方法〜』柴田理恵著(祥伝社)(2023年11月1日発売)